現代語訳の学問のすすめは今まで勉強していないからこそ読んだ方いいかも?その理由を3つ紹介します。

どうもマサキングです。
最近になるまで本もほとんど読まずに勉強も一切してこなかった僕がずっと気になっていた本がありました。
それはズバリ、福澤諭吉の『学問のすすめ』です。
本の名前はもはや有名過ぎて日本人なら一度は聞いた事があるでしょう。(多分)
この本が発行されたのは明治の初め頃で、なんと当時の日本国民の10人に一人は持っていたというまさに自己啓発書の日本代表と言っても過言ではないです。
僕が学問のすすめを読むのは実は三度目でした。
一回目は要所だけを抑えた簡単なものでもともと気になっていたのもありすぐに読んでしまいました。
それがとても面白かったので次は図書館で原文の本にチャレンジしようとしたのですが、僕の日本語の拙い知識では意味が分からな過ぎて一瞬で諦めて返却するという事態に...(笑)
ただずっと軽い罪悪感と共にちゃんと最後まで読んでみたい気持ちがずっとあったのでいつでも読めるように、というか無理やりでも読み切るようにAmazonで電子書籍として購入してスマホで無事に完読出来ました。
現代語訳の読みやすい文体だったのですが福沢諭吉のズバッというときは容赦なく言い切る気持ちよさと、思わずクスっと笑ってしまうような軽快な冗談交じりの文章に最後まで楽しく読むことが出来たしいい意味で福沢諭吉に対するイメージが変わりましたね。
その中から今の時代にも普通に通じる部分が多々あり驚いたと同時に福沢諭吉の人間や時代の本質を見抜く目は本当に凄いと感動しました。
何にも努力していないのに人を羨んだり恨んだりしてたのに改めて気づかせてくれた。
特に努力もしてこずに社会人になって勿論勉強も全然だったので現場の仕事で汗をかく。
別に悪い事では無いし体を動かす仕事が好きな人もいるしやりがいのある仕事も沢山ある。
問題はそこで働く人の心の持ちようがどうなのか?だけな気がする。
僕は志だけは謎に高くて現状には満足した事が無かったし、常に他の人の事を小馬鹿にするか羨んでは自分の今の人生のほとんどを他人のせいにしていた。
それで空しくなっては自分よりも立場の低い者や気に入らない上司のあら探ししてつかの間の自己満足に浸る...
これって人生が向上するわけもなくどんどん自分の自信を無くしていくだけの悪循環ループでしかなく、どうにかするにはそんな弱くて情けない自分に勇気を持って向き合う事しかなかったりします。
弱い己と向き合うって逃げ場がないので本当に辛いんですけど、そんな自分の事を少しでも受け入れてみようかと思えた瞬間にもう新たな人生の一歩を踏み出している。
そこからはしんどい事の方が多いけど確実に前を向いて自分で考えて行動を選択していけば後悔することは激減していきます。
人はいつからでも何歳からでも自分が変わろうと真剣に思えば変わる事が出来る。
知恵がないのが極まると恥を知らなくなる。
自分の無知のゆえに貧乏になり、経済的に追い込まれたときに、自分の身を反省せずに金持ちをうらんだり、はなはだしくなると、集団で乱暴をするということもある。
毎日を昨日よりも違う自分で。
なんの本で読んだのかちょっと忘れてしまったのですが、おそらく様々なビジネスや自己啓発その他の書籍に登場する有名な?文句がまさか明治に発売された本の中から時を経てずっと引用されていたのに驚きました。
それは❛現状維持は退化と同じ❜です。
もしかしたら海外の本の有名な一説を福沢諭吉が用いたのかもしれませんが学問のすすめのなかで同じ意味の言葉が出てきたときは正直痺れましたね。
いつも通りの日常に一番の安心感を感じていた僕が、それを毎日繰り返し続ける事にどんな意味があるかなんて今まで考えもしなかったです。
難しい事はまだわからないですが、一番身近で分かり易い例が自分の体かもしれません。
当然何もしなくてもただ生きているだけで人間は歳をとっていきます。
ジョギングをする日課がある人やジムに通って体を鍛えている人、何か趣味でスポーツをしている人となーんにもせずに毎日を過ごしてきた人が例えば60歳になった時にどんな違いがあるか。
勿論一概には言えませんが運動をする習慣がある人と何もしてこなかった人では雲泥の差が開くと思われます。
おそらく見た目年齢もかなり差が出ます。
それは運動によって血行が良くなることや成長ホルモンの分泌、肥満防止に関係しています。
他にも色んな要因がありますが自分の体だけでもこれだけ変化が出ます。
目まぐるしく変わる世の中の中で自分だけが現状維持でその場に留まり続けると世間からもどんどん置いていかれることは想像に難しくない事ですね。
では何をするのか?は正解は無くて一人一人が自分で考えていく問題です。
進歩しない者は、必ず退化する。退歩しない者は、必ず進歩する。
進歩も退歩もなく、そのままのところに留まる者はありえないのが理屈である。
信じる者は救われない!?
なんでも信じる事ってなんだか心が純粋みたいでいいなぁなんて思っていたら、福沢諭吉に喝を入れられてしまいました。
今は無いのですがまだテレビを見ていた時はニュースでもバラエティー番組でもとにかく見たこと全てを真実と受けとめ、本を読んではそのまま信じてました。
実際まだ読書量が少ないので本の内容に関しては、少しツッコミを入れる癖をつけているんですがほぼ鵜呑みにしちゃってますね...苦笑
本をもっともっと読んで、多読をした人だけがたどり着けるという「読書の向こう側」へ行くことが僕の願いでもあります。
疑うと一言で言ってもただ闇雲に全てを疑うのは逆に無知を証明しているような気がするし、僕的にはアドラー心理学が大好きなので自との事は無条件に信じたい!!と思うし。
しかしなんでも疑って終わりではなく、その事象を深く考察して自分なりの考えを導き出すにはどう考えても学問の力が必要でそれには勉強しないといけない。
学問のすすめの初めの方に出てくるけど勉強といっても専門的な事ばかりではなくて一番重要なのは生きた実用的な知識を学ぶことがまずは大切と書いてあるので、論語読みの論語知らずにならないように学ぶ内容の方向性だけはきっちり決めておかなければといつも自分にも強く言い聞かせてます。
信じることには偽りが多く、疑うことには真理が多い。
以上になります。
まだまだ他にも大切な事が沢山書かれていて本当に明治に書かれたのか!?と疑う部分もあるくらいです。
もしまだ読んでいない方で少しでも興味をそそられたらめちゃくちゃおススメですよ~!!