親や家から脱走することは何も悪いことではなく、逆に人生が始まる可能性もある理由

どうもマサキングです。
親からの束縛は子供にとっては時には呪いになるかもしれないというお話です。
人には嫌われたくないという願望があり、誰しもいい人に見られたいと思う。特に親に対してはその思いは人一倍強くなります。自分とはもう完全に価値観が違ってしまった親から距離を置くのにはかなりの勇気がいる。
でもあえて今まで自分の価値観を作ってきた親の影響の正反対の世界に飛び出すことで、本当の自分の人生が始まるかもしれません。
親を尊敬しているのは危ない兆候?
今までの人生で1番尊敬している人は誰ですか?という質問にあなたはどう答えますか。
そこで迷いなく「親」といえる人は実は危ないかもしれません。
その理由としては、あなたは未だに親の歩んできた人生や生き方に自分を重ね合わせている可能性があるからです。
ではなぜその状態が危険なのかを説明します。
価値観の比率
上記で書いたような状態はどのような価値観の比率になっているでしょうか。
親の価値観が10で自分の価値観が0になっている状態だと言えます。
この状態のまま成長し、独り立ちして年を重ねても、いつまで立っても自分に自信や希望を見いだせなくなってしまいます。
いつまでたっても親の価値観で物事を判断するので、自分の中に現実を生きていないような虚無感が生まれてしまい、常に虚しいと感じながら日々を生きることになる。
一回脱走してみよう
親の呪縛から逃れられないパターンには大きく二種類あると思っていて、それが以下の2つです。
- 居心地が良い
- 影響力が強すぎる
まずは1番から考えていきます。
これはシンプルに居心地が良くてずっとそばにいたいと思うことです。居心地がいいというのは実家暮らしで住み慣れた場所にいるというだけではなく、精神的にもかなり依存してしまっている状態だと思います。
それはどういうことかというと、親というのは子供が自分の人生観に沿った行動をしていると基本的には何もいいませんし、褒めてくれます。さらには大概のことは受け入れてくれて、承認欲求も存分に満たしてくれます。
多少、仕事先などで嫌なことがあっても家に帰って親に愚痴を言えば全肯定してくれるので、かなり心地よい。
逆に言えばその心地よさが、心の成長を阻害し自分らしさをどんどん削り取っていく恐ろしい状態でもあるのですが。
次に二番目です。
逆に親が偉大すぎて(子供がそう自分で思い込みすぎて)何も逆らえないという状態。
親としても自分のプライドを守るために、従順に言うことを聞くように子育てをするので子供は抗う術を知りません。
幼いときから自我を親好みに矯正させられた子供は、もう親に認めてもらうことでしか自分の欲求を満たすことができなくなる。子供のうちはまだいいかもしれませんが、いざ大人になり社会に出ると一気に虚しさが噴出する恐れがあります。
いっそ真逆
そういう沼にハマってしまったと感じたらいっそのこと真逆の世界に飛び出しましょう。
この記事を読んでいる時点であなたは今の自分の状態がよくないことに気づけている。あとは行動するだけです。
ぼく自身がずっと自分という人格を持てずに周りの親や親族の価値観に沿って生きてきました。
だけど、離婚をきっかけに全てのつながりが切れた時、逆に生きる希望を感じたのです。
親からどう思われようと、嫌われようと、実は何も変わりません。少し軌道修正するのではなく思いっきり真逆の世界に一度飛び込んでみることをオススメします。
ぼくが居心地のよい環境から飛び出す前にすごく勇気をもらえて、生き方を変えるきっかけとなった本を紹介しておきます。
自分の違和感を信じる
いくら親の価値観に染まっていても、一緒に過ごしていれば違和感を感じることも必ずあります。
それは依存度によっては自分がかなり年を重ねてからかもしれません。恥ずかしながらぼくの場合でもその違和感をしっかりと感じることができたのは、三十代を過ぎてからでした。
それほどまでに親の価値観が自分の中に深く根付いていたのです。これは今考えると本当に恐ろしい。ある意味洗脳に近い。
だから早く気づくことが正しいとは思いません。しかし何かおかしいと感じたらその違和感の原因を突き止めるまで考えてみてほしいのです。
違和感を感じた時点で、親の価値観とは違う「自分自身の価値観」が生まれている証拠です。
無理に親に合わせる必要はなく、その感覚を信じてみましょう。
あくまで他者
お腹を痛めて生んでもらった、育ててもらったことに対する感謝をするのは当然のことです。
しかしそれが生き過ぎるとよくありません。自分の親といえどもあくまでも他者と捉えたほうがいい。
親子以前に人と人だと思います。
親だから、自分を生んでくれたからと無条件に敬うのは自分の人生を捨てているようなもの。
そうではなくてあくまでも他者として考える方が気楽です。
苦しみの先に感じるもの
最後になりますが、そうして親の長年の価値観、生き方、人生の呪縛から逃れて、自分らしい生き方を選ぶとします。
その世界が楽しいことばかりかというと実はそれも正反対だったりします。
思い通りにいかないことも多くて、辛いことや苦しいこと、困難が立ちふさがることも多い。というか実体験的にそういうことばっかりな気もします。笑
しかし不思議なことにそういうつらい苦しいと感じている環境の方が生きる実感を得られるんですよね。
むしろ生きる気力がもりもりと湧いてくるのを感じます。
もしかしたら人間の心は一度自由にならないと始まらないこともあるんじゃないかなって真剣に思います。
今生きづらさや虚しさを抱えながら生きているのなら、一度思い切って親の呪縛や周りの人間の常識的判断の外に踏み出してみるのもありです。そこは先の見えない暗闇でもあるけれど、自分次第でいくらでも未来が作れる希望に満ちた世界でもあるとぼくは信じています。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
ぼくも暗闇の中に一歩足を踏み出したところです。ともに頑張っていきましょう!!