【仕事の意味を考える】生きるために働くのか?仕事を生きがいにできるか?

どうもマサキングです。
「仕事なんか生きがいにするな」という衝撃的なタイトルの本を読んで、自分の中の働くとは、仕事とは、そして生きるとはどういうことなのかが少し明確になりました。
タイトルからわかるように働くとはどういうことなのかをメインに書かれた本なのですが、実はそれよりも深い人の欲求についての解説の部分がめちゃくちゃ身にしみたのでその部分をメインにここでは解説していきます。
マズローの欲求5段階説を否定!?
よくビジネスとか自己啓発の中で登場するマズローの欲求5段解説というものをご存知でしょうか。
これは簡単にいうと心理学者アブラハム・マズローが「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階に理論化したものです。人間には5段階の「欲求」があるといわれていて、下の欲求が満たされると次の欲求を満たそうとする基本的な心理的行動を表しています。
5段階の欲求とはなんぞやというと下から順番に以下のようになっています。
- 生理的欲求(生きていくために必要なものを欲する)
- 安全欲求(安心で安全な暮らしを欲する)
- 社会的欲求(家族・社会など集団への帰属を欲する)
- 承認欲求(他者から認められ、注目を集めたいと欲する)
- 自己実現欲求(自分の可能性を最大限に発揮したいと欲する)
こうしてみると1番から順番に欲求を満たしていきたいと思うのは自然の流れのように感じますよね。
しかしぼくはこの部分に疑問を感じていました。
それは必ずしも全ての人が1番から3番の欲求を満たして生活ができているわけではないという事実もあるからです。
それどころかユダヤ人収容所のような極めて過酷な状況の中でも、人間として成長していくことが可能なのだということをヴィクトール・E・フランクルの書いた「夜と霧」で教えてくれます。
【極端な例】後悔をあまり感じない生き方ってどんなんだろう?一つの答え。
実はこの本の著者であるフランクル自身が収容所に収監されていたときの記録が「夜と霧」であり、その経験も踏まえてマズローの欲求段階説に意義を唱えています。
なんかめっちゃ説得力ありますよね。
その本書の言葉を引用すると以下の通り。
人は低次の欲求が満たされていないような極限状態であっても、むしろそれだからこそ高次の欲求である「意味への意思」を激しく求めるものなのだ。
なぜぼくがここまでこの考え方に共感を感じているかと言うと、ぼく自身がまったくマズローの欲求5段階説に当てはまっていないから。
どういうことかというと、ぼくは離婚をしたきっかけから文字通り全てを失う経験をしました。
お金も家も家財道具も本当に全て失い、そこから人生で初めての一人暮らしがスタート。
そのときに真剣に自分を変えたいと思い、転職を決意して安定した給料をもらえていた仕事をやめ、全く異業種のIT業界に入りました。しかしその道程は厳しく、年収は激減、養育費の支払いもあるためバイトをしないと食費すらままならない生活がスタート。
そのタイミングで人間関係もリセットしようと思い、もともと少なかった友人やしばらく連絡をとっていない人などの全ての連絡先を削除しました。電話帳にあるのは家族の名前だけです。
さてこの時点で5段階欲求の1~3までが全て満たされていない状態だというのがおわかりいただけると思います。
マズローの考え方ではこの状態の人間はまず生理的欲求を満たすために必死になるのが普通でしょう(ぼくは日々食べてく資金すらままならない状態です)
ところがぼくの気持ちは違いました。
不思議なことに5段階の欲求で言うところの自己実現欲求を満たしたい、いやむしろ自分には満たすことができる!という謎の自信と力強さが心に宿っていました。
全てを失い、住んでいた賃貸も少ない給料でなんとか生き残るためにさらにボロいマンションに引っ越してもです。
仕事柄、工具などの道具やスーツ、交通費もかなり必要で休みの日は全てバイトしてもギリギリでした。
そんな生活をしていても何故か気持ちだけはずっと先の輝いた未来へと向けられて、食費を削ってまで資格試験を受講するくらいの意欲もあります。
これはどういう心理状態なのか。
自分でもよくわからなかったのですが、ビジョナリー・カンパニー②飛躍の法則の中にそのヒントがありました。
そこで紹介されていた「ストックデールの逆説」という理論がしっくりきました。
ストックデールの逆説とは、どれほどの困難にぶつかっても、最後には必ず勝つという確信を失ってはならない。
本当の自分になったあとに起こる現象とは
太陽と月