【34歳から未経験からエンジニアを目指してみた結果】あくまでも一つのパターンです。

どうもマサキングです。
今回は自分が2020年の夏から未経験からエンジニアになろうという挑戦をしてみて、ある企業に内定を頂けるまでの一つのパターンを書いていきたいと思います。
去年の8月に割と安定していた仕事を辞めてプログラミングスクールに通い、就活をしてやっとの思いで内定を勝ち取りました。
先に言っておくと当初の予定であったソフトウェア開発の会社に内定を貰えたわけではありません。
実はこの記事を書いている段階(2021.1.25)の段階ではまだ働きだしていないため、実際の業務内容を詳しくお伝えすることはできないのですが、職種としては『フィールドエンジニア』という種類の正社員として働くことになります。
簡単にいうとシステムの開発はせずに直接企業や一般のお客様のところに出向いていってそこで機械の設置や保守、運用、修理などをするエンジニアです。
プログラミング学校を卒業してから就活をしていた時の記事もサクッと書いているのでよろしければご覧になってみてください。
ちなみに私は高卒でそこからずっと34歳まで調理の現場でしか働いたことがなく、まともにキーボードで文字も打てない状態から挑戦しました(笑)
ただでさえ悪条件が重なるなかでさらに勤務地を大阪に限定していたので、鬼のように不利な状況だったのは確かです。
【34歳、調理師のIT業界への挑戦】 就活11日目のリアルな就活事情。
【未経験からエンジニアへの道】調理師、34歳の就活事情。活動開始19日目の記録。
【34歳からエンジニア転職】プログラミングスクール卒業して就活開始28日目のリアルな現状。
そして最終的には就活にかかった総日数77日、企業への応募総数172件、書類選考通過14件、内定1件でした。
就活記録が29日目から急に77日目に飛んでいるのはお見逃しください。。。。苦笑
まずは率直な感想!
かなり厳しい戦いでした。
今まで仕事で特に実績を残してこなかったことがスクールを卒業して就活に突入してから大きなネックになってきたのです。
なんとなく働いてきた人生を変えたくて挑んだ今回の挑戦ですが、やはり社会というジャングルの中では数字として残っている実績や肩書などの重要さを痛感しました。
学歴もなく、年齢も若くない状態でなおかつ未経験の職種に飛びこむのです。
スキルとしてはスクールで学びはしましたが、現場で通用するはずもありません。
そんな時に重要になってくるのがやはり熱意とかポテンシャルの部分です。
それを赤の他人である企業の面接官が判断するには喋り方や第一印象はもちろんですが、履歴書、職務経歴書の中でのこれまでの働き方しかないんですよね。
その部分でアピールできる部分が無かったのがここまで就活で苦しんだ大きな理由です。
自分を変えようと挑戦するのはとてもとても素晴らしいことだが『丸腰』で社会のジャングルに飛び込むのはちょっと危険という事です。
安定から身を投げだしたら見える世界もある。
とはいえ後悔は一切していません。
就活が思ったよりも長引いたのもより深く自分と向き合える時間ができたので非常に良かったです。
今までの人生の中でここまで自分自身と向き合う期間を持てたのは初めてですし、だからこそ視野を広げて考えることもできました。
内定を頂いた会社も業務内容こそ当初の目標とは違いますが、かなり熟考して考えた結果そこで一度働いてみようと真剣に思えました。
それにどんな職場で働くことになろうとも調理関係以外ならば自分にとっては全てが未知の世界です。
ワクワクするじゃありませんか!今までと違った事を学び成長できるチャンスです。
そして今度の就職先では今回就活でノースキルで苦しんだ教訓を活かし、確実に自分の業務能力を上げて資格の取得や実績の構築、管理職への挑戦などに貪欲に取り組んでいきます。
だけど試練は続くよどこまでも♪
しかしあまりにもノープランでここまで突っ走ったために破滅寸前の状態であるのも事実でなのです。
全財産をなくした状態で、離婚も3年前に離婚もしていて養育費の支払いもあり内定を頂いた会社の給料では実は毎月の生活費がマイナスの状態です。
ただでさえ初めは覚えることも多くて大変だと思うのですが、休日はバイトをしなければ生活できない状態です。
そこまでしてやる意味があるのかないのかは今は気にしている余裕はないので、とにかく明日を生きるためにこれからサバイバル生活がスタートです。
このまま踏ん張って生き延び強くなれるのか、それとも全てを失いホームレスになるのか。
今後はそのギリギリの生活の事も記事にしていけたらいいなと思います。
それでは自宅の電気が止められなければまた更新していきます!!!ありがとうございました!!!!!!